戦後最大
 自然破壊 U

  中倉山から続く尾根の反対側は日本のグランドキャニオンと呼ばれている松木渓谷だ。上の写真のように岩肌がむき出している。その反対側はこの写真のように、どこにでもある山様を呈していた。
  左の写真が植生だが、下方がハンノキ系統とリョウブが混生。ある地点からは一帯はすべてがリョウブの林になる。それを過ぎるとリョウブにフジが混じって生えていた。
  1260m辺りからはミズナラなどドングリの生る木に変わり、ヤマザクラが所々に混じる。本来は藪をなしていたはずの笹は鹿の食害で伸びることができず、独特の丈の低い笹原になっていた。この辺りまでくると平坦になってきて、歩き疲れた体をひと休させてくれた。
  1250mを過ぎる辺りからは、ヤマツツジ、トウゴクミツバツツジ、シロヤシオが目につきはじめて、緑一色の中に彩りを添えていた。
  このように、本来なら変化に富んだ山様を呈していたはずの中倉山の東側斜面も、裏と表とではこのように表情が違っている。100年近くかけて変ってしまった山肌に、いま盛んに植林が行われているが、願わくは庭造りのような植林をしないでほしいいものだ。
  個人的なことを言うと、先人たちが犯した愚かなあやまちを覆い隠すこよなく、負の歴史遺産として残すぐらいの度量をもちたいものだ。誰が犯した罪でもない。人が自ら犯した償ってもつぐないきれない犯罪なのだ。
  会社という実態の知れないお化けに先祖代々の土地を追われてしまった松木村、久蔵村、仁田元村。それは福島にも通じることだが………。

  煙害に犯されていない西側斜面に見る
 中倉山の植生


   <写真は拡大できます>
 
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 1399m辺り

1350m辺り

ヤマツツジとトウゴクミツバツツジ。

  日本のグランドキャニオンと呼ばれる松木渓谷。
上の写真は松木渓谷から見た中倉山。
  銅山の精錬のよって出るガスで草木が枯れたと言われているが、いま盛んに元の緑の山に戻すための植林が行われている。
  渓谷の西側に聳える岩肌が露出した山が中倉山の東斜面である。グランドキャニオンなどと浮かれている場合ではない。

中倉山(1,499.5m)

【松木村の歴史】
700年ごろ 
日光を開いた勝道上人
        が方等寺をたてたとう
        い伝承がある。

1853年   このころの調査で村に
文久2年  は37戸137人が住んで
        いたといわれる。

1884年  ころころから酸性雨によ
明治17年 る被害が出始めた。

1902年  全村立ち退き。村を売っ
明治35年 た金は4万円とか。

810m周辺

↑枯れたエニシダの群落。笹のように何年かたつと全滅するのか??
渓谷の入り口付近。

リョウブ林がしばらく続く。

1100m辺り

1200m辺り

リョウブ林の中にフジが混生。ここだけ空間が・・・・。

1300m辺り

ミズナラなどとヤマザクラの大木。

鹿の食害で短い笹が続く。
その中に突然ゼンマイが。

シカはゼンマイを食べないみたいだ。

1390m辺り

ヤマツツジとシロヤシオ。

↑中倉山の東斜面。松木渓谷か見上げた風景。

910m地点

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2012年6月1日 備前楯山より撮影

2011年11月24日 撮影

2011年11月24日 撮影

↑松木渓谷。旧松木村跡か下流を振り返ると・・・・

今回登った地点

↑ハンノキ属の木が多い。取り付き口の手前の林道から仰ぎ見る。

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