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山頂近くになってようやく杉の木のあいだから山並みが見えた。いちばん高いのは鶏鳴山(けいめいざん)ではないだろうか? この山もなにかいわくありげな名前だ。

山頂には鳥居と3つ祠が並んでいた。残念ながら眺望はよくない。春と秋、村人たちは御神酒をかついで山頂に集まり神に願いをこめて祈りを捧げる。神主はいなのだそうだ。祈りは村人たちが行う。

石の祠。3つ並んでいた。右がいちばん古く明治27年の文字が読みとれた。左の2つは昭和31年に新しく立てられたもの。風・雨・雷をしずめるために3つあるのか? いまは誰も知らない。

登山口は宮小来川の集落のなかほどにあった。一歩足を踏み入れると頂上まで杉の木におおわれていた。

急峻な山は杉の木に包まれていた

山に分け入るとひと抱えもありそうな杉の大木が雷にうたれて裂けていました。栃木県から群馬県にかけての山間地は雷の多いことで知られています。四メートルにもなる麻畑に雷が落ちたらひとたまりもありません。急に訪れる豪雨も大敵です。人々は神頼みをしました。

  民俗学者の柳田國男は、その著『地名の研究』のなかでこういっている。
《地名とはそもそもなんであるかというと、ようするに二人以上の人のあいだに共同に使用せらるる符号である》


  栃木県日光市小来川にいっぷう変わった名前の山がある。風雨雷山と書いて「ふうらいさん」と読むと地元の人に聞きました。当然、予測はしていましたが、どうしてこんな名前がつけられたのか気になっていました。そこでゴールデンウィークで混み合う四月の末に訪ねてみました。

  村の名前のゆらい
  風雨雷山もいわくありそうな名前ですが、小来川(おころがわ)という集落名もいわくがありそうです。物語郷土史「おころがわ」によると、南北朝時代の南朝の忠臣といわれた藤原藤房は、南朝が衰退すると常陸の国の関の城(現在の茨城県関城町)へ落ちのびましたが、ここでも身の危険を感じたため、黒川を逆上り鹿沼北方の山ふところ(現在の鹿沼市見野)に隠れ住みました。
  このころに黒川筋の谷を逆上って探勝をこころみました。いく曲がりもした黒川の風景を楽しみながら森崎に着くと薬師堂の丘に参詣され、ここからの里のおおらかさとに心ひかれて和歌を詠みました。
  涌き出でし 水上清き小来川 真砂も瑠璃の 光をぞ添う
  そのころこの地区は“小倉の里”あるいは“小倉の荘”と呼ばれていたそうですが、以来、小さな川の流れる里というので小来川と呼ばれるようになったと伝えられています。

  山の名前のゆらい
  小来川地区をはじめ栃木県の山間部では、むかしから麻の栽培が盛んでした。ご存じのように麻は成長の早い植物で、桜の花が散ったころにまいた種は八月ごろには三メートルから四メートルにもなります。これだけ丈が高いとちょっと強い風が吹くと倒れてしまいます。
  そこで麻の栽培をしている人たちは風を恐れました。台風はもちろんですが、強風と雨をともなってやってくる雷も恐れていました。
  現在のように天気が変化する仕組みや、まして予報などできなかった時代のことですから、神頼みしかなかったのでしょう。村の鎮守の黒川神社の奥宮を山の上に定めて、風や雷がしずまるようにお祈りを捧げました。いつしか村人たちは山の名前を“風雨雷山”と呼ぶようになりました。

地名を考える
  風雨雷山(ふうらいさん 653m) ・・・・・・・・・・栃木県日光市宮小来川(みやおころがわ)        
                            

佐藤元治さん(昭和2年生まれ)に聞いた村の話

  おれもよく分んねけど、むかしから風雨雷山と言ってたな。毎年、春と秋の2回は御神酒を背負って頂上までのぼるんだよ。御神酒をあげて祈って、それから山を下りて本社のある黒川神社でなおらいをする。4月15日と10月15日におこなわれていた行事も最近の若い人は勤めをもっているので、いまは中旬の日曜日におこなっています。
 小来川は東・西・南・中・宮と6つの字がありますが、全体で家は345戸、1,093人の人々が暮らしています。昭和30年ごろまでは麻の栽培が盛んで、ほかには養蚕もおこなわれていました。麻というと大麻ですね。いまはやたらには栽培できません。戦後、免許制度になりましたから、許可を受けないと作れないので、それに人手もなくなってきたので誰も栽培しなくなりました。麻ができなくなると養蚕もそれにつれてなくなってきました。それでも春と秋の祭りはいまだに続いています。


黒川神社の祭神は経津主命(ふつぬしのみこと)。出雲神話によるとこの神は武甕槌命(たけみかづちのみこと/建御雷命ともいう)とともに大国主命(おおくにぬしのみこと/大黒様とも)と国譲りの交渉をおこなった神。香取神宮の祭神。利根川をはさんでもう一方の鹿島神宮には武甕槌命が祭られている。二神はしばしば対になって語られることが多い。いずれも闘いの神様として語られることが多い。