私の子どものころの話だ。
正月は旧暦で行われていた。
途中から新正月と旧正月と
にども正月がくるようになった。
新生活運動とやらのおかげだが、
おめでたい日がにどもあるのは
とても嬉しかった記憶がある。

私の田舎は鰤正月といって
暮れになるとどの家でも鰤を買った。
巨大な魚で自分よりも大きかった。
いまならたぶん自分のほうが大きいだろう。
それが長屋(納屋)にぶらさげてあり
ときどき見に行っては感動した。

正月にはこの鰤を料理をして
雑煮をつくり
ひとりのお椀にひと切れずつついた。
昆布や鯣や蛤と鰤の出汁で
たっぷり岩海苔を餅の上にかけ
雑煮を食べた。
小正月にはたいてい雪が降っていたが
朝 起きると一番に苗代田に駆けて行った。
田んぼには注連縄をした松が立ててあった。
松の枝には黄色い蜜柑が飾ってあった。
家族の数だけ飾ってあった。

その蜜柑をもぎ取ると
大急ぎで家にとんで帰り
蜜柑を炬燵の上に並べて
しばらく眺めて楽しんだ。
自分が食べるのはどれかな
などと見比べながら………。 
良い悪いは別にして・・・・
  むかし むかし そのむかし
苗代田
 稲の苗をつくる田んぼのことをいう。気温の低かった私の田舎では、籾(脱穀していない米のこと)を布の袋に入れて、風呂の残り湯のなかに浸して発芽うながし、水を張った苗床に蒔いて苗を育てた。蒔いてしばらくの間は、油紙といって唐傘のような匂いがする半間(約九十センチ)ほどの防水された紙をかぶせて成長をうながした。発芽した稲の苗が油紙を持ち上げるくらいに生長してくると、油紙をはがした。苗が二十センチを越えるくらいに成長すると、そろそろ田植えの時期。苗を引き抜いて両の手一杯になるまで握り、ふたつ合わせて藁しべでくくったものを田植えの始まる田んぼに運び、適当な間隔で並ぶように放り投げて配ったものだ。下手投げで苗がすとんと立つように投げるのが私は得意だった。
 最近は機械で植えるようになったので、苗代も目にすることがなくなった。それだけ便利になったということだが、なにかを無くしたような気がしてならない。

再現された東北地方の「雪中田植え」の様子。私の田舎は中国地方だが、いまのように苗を農協から買わない時代、毎年、苗代をつくる田んぼで行われていた。

 江戸時代の紀行作家であり、すぐれた民俗学者でもあっ
た菅江真澄は、秋田県の八郎潟周辺の雪中田植えの記録を
絵と文字で残しています。旧暦「小正月の行事」でした。
 いま、東北地方の各地で復活され、子どもたちへ受け継
がれようとしています。でも、ただの行事として伝えたの
では意味がありません。なんのために、むかしの人たちが、
こんなことをしたのか、その意味も考えたいものです。
雪の中の田植え

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