お茶の実のできるころ

星野緑     みねかおり   

みねゆたか   みなみかおり  

さがらかおり  さやまかおり

司みどり    摩利子  

さやまみどり  やまとみどり  

藤かおり    さがらひかり

さがらみどり  
   
   ・・・茶の木の種類

チャノキ

【チャノキ】ツバキ目ツバキ科ツバキ属チャノキ。原産地は中国大陸。
  中国や日本で栽培される常緑低木です。ほおっておけばどのくらい伸びるか分かりませんが、ふつうは1m程度に仕立てます。
  われわれはお茶というと5月の八十八夜を連想しますが、お茶の花は秋に咲きます。咲き終わると種ができます。種はかたい殻につつまれていて、熟すと割れて中から種が飛出します。
  よく枝分かれするのでお茶栽培農家ではアーチ型に刈り込んで育てます。丸みをおびた木の枝から出る新芽を摘んで蒸して、乾しながらよくもんでお茶に仕上げます。これが新茶です。
  いまは自分でお茶をつくる人などいませんが、むかしはお茶は自家用につくっていました。お茶は買うものではありませんでした。


茶の木神社
  下総の国、佐倉城主で大老の堀田家の中屋敷に祀られていた神社。周囲にお茶の木が植えられていて、この社のあることろは火事がなかったことから、火伏せ神として親しまれた。昭和60年には布袋尊が祀られ、日本橋七福神として信仰を集めている。

茶の木稲荷
  お稲荷さんの御使者の白狐がお茶の木で目をつき、それから信者たちは正月の三が日はお茶を飲まない風習があるそうだ。眼病の人は十七日、あるいは三×七、二十一にお茶断ちをして願いをすれば霊験あらたといわれる。


【矢切とお茶の木】
  矢切は伊藤左千夫の小説『野菊の墓』のせいでしょうか、野菊の花はよく知られていますが、だれいうともなくお茶も栽培されていたはずだということで、いっとき本気になって畑の周辺にお茶の木が植えられました。
 いまあちこちに見られるのは、そのころに植えられたものです。私の記憶では茶摘みではなく、政夫と民子が茄子を収穫していたように記憶していますが・・・・。
 それはいいとして伊藤左千夫は茶道にも通じていて、師匠の正岡子規から「茶博士」と呼ばれていたそうです。そのことと茶の木の関係は・・・分かりません。

ふつう「チャ」というと、葉を加工して製品にしたもののことです。「お茶」ともいいます。そんなことも知らないくらい何気なくわれわれは茶摘み風景を思い浮かべていました。八十八夜には「茶の木」から「茶の葉」を摘みます。

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いまを盛りと花が咲いています。

これから花になるのでしょうか。早くしなと霜がやって来る

花が咲き終わると次々と種になる。

ミツバチにとってはお茶の花は蜜集めに都合のいい花です。

撮影: 2012年10月22日