十二月の想い出
午前四時
外はまだ真っ暗だ。
ぼくは蒲団の中で目をあけたまま
しばらく じっとしていた。

台所では母の働く音がしている。
もうそろそろだなと思えるころ
ガバッと掛け布団をはねのけて
起きあがると囲炉裏の間に出る。

「ほうほう 起きたか はよう着替ええよ」
母の声にうながされるように
ネルの寝巻きを脱いで
洋服に着替え 福助の足袋を履く。

「いいでェ いつでも」
ぼくは母にこたえる。
すると母は風呂敷に包んだ重箱を
わたしてくれる。

ぼくは重箱をさげると
長靴をはいて勢いよく
外に飛び出すといちもくさんに駆ける。
雪道にはまだ誰も歩いた跡がない。

ぼくの心は躍った。
今年もいちばんだ。
前日に綺麗に掃除をしたお堂に
お地蔵さんはしずかに座していた

「お地蔵さん お地蔵さん
 今年一年 ありがとうございました。
 来年も一年 家族みんなが丈夫で
 ありますように あんあん」

お祈りをしながらぼくは
お地蔵さんの顔に
思い切りあんこを
なすりつけるのだった。

家に帰るとみんなが起きていて
囲炉裏のまわりには箱膳が並べられ
いつでも食べられるようになっていた。

すると一家の長のお爺さんが
箸で餅をつまむと
地蔵さん 地蔵さん なんとか川原に転ばんように
ぶつぶつ願い事を唱えながら
家族全員が唱和してその日の食事がはじまるのだった。 

私たちが子どものころは、村には大字があって小字があって、そのなかがさらに5軒ほどの単位になっていたように思うが、小字のなかにお堂が3〜4つあったように記憶している。なぜお堂に納めてあるお地蔵さんの顔にあんこを塗ったのかわからない、いまから考えるとしっかり記録しておくべきだった。(矢切にて)

雪が降ると寒いが、どういわけか朝一番の歩にて自分の足跡をつけたかったものだ。「ひざぬりさん」の朝もやっぱり一番になりたかった。

もう半世紀もまえの田舎の写真だが、SLマニアならご存じの場所だ。D51三重連のメッカだった。当時はまだ稲は「はで」乾しをしていた。私の生まれた村からは20kmほど離れていた。下段、横に延びているのが伯備線の線路。(伯備線布原信号所付近)

目次へ戻る