名古屋を出発した紀勢本線の列車は、紀伊長島駅を過ぎたあたりから熊野灘を左手に見ながら走る。車窓右手は一面、深い緑におおわれた山々が続く。紀北の名が示すようにこの辺りから紀伊の国にはいる。 一面の緑は杉や桧の植林された山だ。なにげなく見ていた車窓風景に、なぜか違和感を抱いた。
 それは紀伊長島駅を過ぎるまえから感じていた感覚だった。相賀駅の手前で列車は川に沿って走る。そのとき、それまでに目にはいてたいたはずの川に水が流れていないことに気づいた。さきほどから感じていた違和感はこの水無川にあったのだ。
 幅およそ30mはあろうかという川は干上がっていて川底の石が丸見えだった。わずかに残った水が水溜まりをつくっているだけだった。いつから川底が見えるようになたのか知らないが、おそらくそう遠い昔ではないだろう。左手のコンクリートの護岸は、そう古いものではない。右手の小型テトラポットも最近のものだ。なぜ水がなくなったのか。まさか地殻変動で川筋が変わったわけではないだろうから、考えられるのは水が出るときには出るのだ。それも護岸を整備しておかなければならないほど。
 原因は杉や桧の山にあるのではないだろうか。下草一本も生えない杉や桧の山に降った雨は、山肌を滑るように流れて川の跡に集まって流れをなし、海に注ぐ。だが、ひとたび雨が上がれば川は干上がり、ごらんのような様相をていしてしまう。

戦後最大
 自然破壊

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  三重県北牟婁郡紀北町海山区船津