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様々な山岳信仰の集合した山
  麓にある御嶽山神社(鹿沼市下長野83)の永澤忠彦さん(昭和22年生まれ)によると、この神社は明治維新政府による神仏分離、廃仏毀釈にもめげずに神仏混合を守り抜いてきたのだそうです。
  御嶽山神社は江戸時代の終わりごろ、1800年代に山岳信仰の拠点として創建されたそうです。当時は多くの山伏たちがこの神社を拠点にして背後の山で修業をしていたようです。
  山は南から三峰山、権現山、烏帽子山の3つの峰が連なってひとつの山をなしています。それぞれ3つの峰は、三峰信仰、不動信仰、御岳信仰の象徴だったようです。両端のふたつはの峰は山岳信仰、中央は不動尊を祀るわけですから仏教です。
  したがって永澤さんは祝詞(のりと)もあげればお経もあげることができるそうです。毎年、暮れには護摩を焚いて無病息災・家内安全を祈願するそうです。

百足退治で知られる俵藤太こと藤原秀郷の里
  もともとは熊野信仰が始まりではないかと永澤さんは言います。そのご三峰信仰がはいり、御岳信仰がはいってきて現在のような形になったと言います。
  三峰信仰がはいってきたのは、平安時代中期の武将・藤原秀郷が下野国を治めていたころ佐野市田沼地区に築いた唐澤山城の鬼門にあたるとして現在の地に三峰を祀ったと伝えられているそうです。
  この説はさだかではありませんが、私の個人的な考えとしては、農民たちが三峯本社の眷属(けんぞく)である狼を祀って農作物を獣害から守ったのではないかと思っています。
  そのころは、栃木県の山間では雷が多く、雨や風に人々は苦しめられていましたから、やはり祈りの中心は狼だっと考えいます。

農民たちを守った2匹の狼
  三峰信仰がやがて御岳信仰をも受け入れたと永澤忠彦さんはいいます。御嶽山神社の眷属も狼です。そんな関係で三峰に御嶽山信仰がすんなりと受け入れられたのでしょう。
  そのころの人々にとって、それほど自然は手におえないものだったのでしょう。神や仏に手をあわせたかったのでしょう。それが三峰と御岳の2匹の狼だったと考えたいですね。


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三峰山の山頂。石の祠があった。よく見ると台石の前面に描いてあったのは三つの峰をもった山だった。

  三峰山の西斜面は石灰岩の採掘のために掘削が進み、みるかげもないありさまだ。いちじは産業廃棄物の捨て場にされようとしていたが、住民の反対でそれは消えた。
  三峰山をなくさないために寺尾地区などの住民の申し入れにより、山頂を越えて掘削をしないよう取り決めがなされているという。
  掘削のおかげといえば皮肉なはなしだが、ご覧のように西側は開けていて秩父連山から日光の山並みまで一望できる。

登りきって尾根に上がると平坦な道になるが右側は立ち入り禁止のロープが張られていた。その理由は下のパノラマ写真をご覧下さい。

トウゴクサバノオ
花びらは5枚に見えるが実は顎片。実際の花弁は黄色く見える部分。葉が特徴的。

登山口をはいってすぐに杉林を行くと、トウゴクサバノオが迎えてくれる。時計まわりコースで登った。

南側から見ると鍋を伏せた形に見えることから「鍋山」の通称名で呼ばれる。

  三峰山(605.0m) ・・・・・・・・・・ 栃木県栃木市鍋山町       
                            

三峰山(栃木県栃木市)

<日本全国の三峰(峯)山の一覧>