三峰山(177.8m) ・・・・・・・・・・ 茨城県笠間市稲田および来栖       
                            

矢切の渡しで知られる矢切地区でも三峰(峯)のお札を目にすることができる。畑に立てられていたお札は「盗難除け」だった。野菜が盗まれるのを防いだり、害鳥の被害に合わないようにとの願いを込めて立てられたのだろう。

もっとも標高の低い笠間の三峰
 茨城県笠間市の三峰山は数ある三峰山のなかでは177.8mmと、もっとも標高の低い山である。笠間の三峰も国土地理院の2万5千分の一の地図を見ると、あまり高低差はないが明らかに三のピークをもつ。その意味では柳田国男のいう地名の誕生に関係するといえなくもないが、おそらく信仰上からも三峰の名がついたのだろう。もっといえば、三峰信仰の場所をどこに置くか話し合われたすえに、三つの峰があるからというので現在の地に置かれた可能性がたかい。
 江戸時代の末(1800年代)になると関東近辺を中心に三峰信仰が広がるが、笠間の三峰もそのなかのひとつであろう。埼玉県秩父市にある三峰神社の眷属(神の使者)は狼である。狼は古来、農作物に害をおよぼす猪や鹿などを退治し、追い払ってくれるものとしてありがたがられていた。じっさい日本に狼がいたころはそうだったに違いない。
  そこから三峰信仰がうまれた。のちに農作物を守ってくれる神の使いが農村部でなく都市部にもおよぶようになると火除・盗難除けとしても信仰されるようになった。現在でも盗難除けとして三峰のお札を目にすることがある。(下の写真参照)

信仰の山だった三峰
 笠間市の三峰山の特徴は麓にある各集落から登山道があることだ。そのことから類推すると、山頂では何らかの神事が執り行われていたこを想像させる。さらにいうと、ピークのある山頂はちょっとした広場のようになっていて、多くの人々が集ったであろうと思われる。山頂で五穀豊穣を祈った姿を想像させる。
 笠間の歴史を解説した書には「火除けの神として信仰された講に、愛宕講、三峯講、秋葉講がある」と記されていて、五穀豊穣のほかに前記のような信仰があったことがうかがえる。

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山頂は大広間のように広くて平坦だった。自然林なら樹齢何百年のの木があってもおかしくないのに、周辺の木々は50年〜60年のものばかりだった。かつては見晴らしがよかったに相違ない。

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来栖地区からの登り道は、登山口の近くに住む助川さんによって手入れがなされていた。

登山道を進んで行くと篠竹がたくさん生えていた。そのむかし、矢竹として植えられたものだろうか?。

三峰山(茨城県笠間市)

<日本全国の三峰(峯)山の一覧>