昔の想い出
  三つのピークはそれぞれの集落の山となっている。
@が日渡路(ひどろ)集落、Aが板名(いたな)集落、Bは口粟野の三坪(みつぼ)集落。
  祭礼の際には、それぞれが持ち山に参拝する。もっとも知られているのは「梵天様」で、毎年4月中旬に各集落の人たちが梵天上げを行った。
  その日は、思いおもいにご馳走を持ち寄り、山上で酒を飲み、ご馳走を食べて一年の無病息災豊作を祈願した。「雷除け」と称するお祓いも欠かさなかった。この辺りは雷雨に襲われることが多かったのだろう。
           (松尾雄二さん談)

三つの峰が見えるので「三峰」と呼ばれるようになった!!

  写真はいちばん高い@のピークです。三角点より10m以上あります。ちょっとした岩登りも味わえます。参拝やお礼参りの人たちは、みんなこちらに登るようで左側の木にその記念の木札が束ねてあります。地元の人たちにとっては信仰の対称なのでしょう。豊作祈願なども、この山で行われたようです。

葉の葉脈のぐあいからフモトスミレのようです。日当たりのよくない杉林の中でひっそりと咲いていました。
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A

B

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 三つのピークが三角形に綺麗に並んでいる(上の国土地理院の地図参照)。これは柳田圀男のいう、不特定多数の人が見ても三つの峰がひとつの塊となっているように見えることからついた地名の典型といえるのではないだろうか。


B

@

三峰山頂で見かけてトウゴクミツバツツジです。東国三つ葉躑躅と書きます。関東地方でよく見れることからこの名がつきました。ほかにダイセンミツバツツジ、ナンゴクミツバツツジ、サイコクミツバツツジなど地域によって様々に呼ばれています。
 
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  民俗学者の柳田國男は、その著『地名の研究』のなかでこういっている。
《地名とはそもそもなんであるかというと、ようするに二人以上の人のあいだに共同に使用せらるる符号である》
  だからといって二人以上ならいいといので家族四人で真っ白な犬の名前をつけた。大阪で人気のゆるキャラ「たこるくん」にちなんで「たこる」としたとする。ところがその「たこる」、ある日、迷子になったしまった。
  そこで家族四人が大あわてで「たこる〜!」と呼びながら探しまわったとしよう。だれも愛犬を探しているとは思わない。「ぽち」だとか「しろ」だとか呼んでいる場合は、犬を探しているんだなと、みんながわかってくれる。
  つまり、地名とはそういうものだ。道が山裾につれて大きく曲がっているとしよう。すると、だれ言うともなく「あそこの大曲のところでね………」。それだけで、「ああ、あそこの道の曲がったことろね」と話が通じる。

三峯信仰と結びつき村の人々の暮らしを守った
  埼玉県秩父市にある三峯神社の縁起によると、
『東国に遣わされた日本武尊(やまたたける)は、甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。そのとき当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が我が国をお生みになられたことをおしのびになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。これが当社の創まりであります』
 というわりには、眷属はオオカミなのである。眷属とは、血筋のつながっている者、一族の者、身内の者、親族などのことをいうが、三峯神社の神の使い、いわゆる御眷属はオオカミなのです。
  一般にオイヌサマと称されている。里山では猪や鹿による被害除け、一方、町や村では火防・盗賊除けの霊験が語られ、信州、甲州、また関東の村や町、それに江戸の町人たちがオイヌサマの霊験を信じ、講社を組織してこのお山に登拝したという。

村人の「拠り所」として三峰山のはたしてきた役割
 いまのように娯楽などない時代。人々は祭事を最高の娯楽として楽しんだ。
  各家庭に電灯がともるようになったのは、農村部では戦後のことだった。もちろん、テレビなどというものはない。ラジオさえなかったのだから。
  テレビが村の分限者の家から順にはいってきたのは、昭和30年代になってからだ。プロレスが人気で力道山が憎きアメリカ人(そのころは外人はみんなアメリカ人だと思っていた)をこてんぱんにやっつけることに、子どもたちでさえ溜飲を下げていた。バラエティーなどという番組が登場し『シャボン玉ホリデイ』を楽しみ、ドラマでは『事件記者』が人気をよび、“お孝さん”という美人にひそかに思いを抱いていた時期があった。あんなお母さんだったらと。
  もちろん、それより前の話だ。農村の人たちは,雪に閉じこめられる冬のほかは一年中、はたらいた。農作業だったら種蒔きと収穫だけだとお思いでしょうが、昔の農家では自分の家にとっておいた種を蒔いて苗をつくり、植えて草取りをして、秋にようやく収穫したものです。
 いまは農協があいだにはいって、苗はみんな販売してくれますし、草取りなども農薬を売ってくれるのでしなくてすんでいます。これまで農家がやっていた仕事を農協が取り上げて現金で売るようになりました。そうすると、百姓はどこかからお金をもってこないといけません。
 そんなわけで兼業農家がふえてきました。勤めに出るようになると、これまで農閑期ごとにやっていた行事も人がいなくてできなくなります。それが村の行事の衰退を招き、三峰を杉林にしてしまいました。「杉は植えておけば金になる」という甘言につられて、いまは杉によって山の土を流出させ、死に山にしてしまいました。

  人々がまだ薪で飯を炊いたり、風呂を焚いていた時代。山は重要な燃料の補給地だったから、木を絶やさないよう山を守っていた。ところが、燃料がガスや石油に代わり山の木が必要なくなってくると、これら雑木は切り払われ、かわって植えておけば金がもうかるからという政府の甘言に踊らされ、深さ30cmほどの穴を掘り、国に買わされた杉や桧の苗を一生懸命に植えた。
  この写真のような石ころだらけの山に植えたのではない。子どものわたしでも、容易に穴が掘れるほどの土があった山だ。それがいまは、雨に流されて山は岩だらけになってしまっている。つまり、山が死んでいるのだ。この現実をどうして見ないのだろう。どうして、子どもたちのために、もういちど山を生き返らせようとしないのだろう。売れない杉や桧を伐採するだけのことなのに。
  それができるとしたら、昔を知っていて、いまはリタイアして暇ができた、あなたたちしかいなのだ。土地を、国をまもるのは、あなたたちなのだ。

地名を考える

  25年間にわたって元旦登山を続けている鹿沼市議会議員の小島 実さんは、日渡路三峰の山頂から初日の出を遙拝している。いまは木が成長して見晴らしがよくないが、それでも天気さえよければ富士山も見ることができるという。杉の木にしばられているのは、小島さんはじめ多くの人たちが登頂記念に置いていった記念の札。ただ「登頂記念」もあったが、「○○議員当選お礼」などというのが多かった。

A

  三峰山(485・2m)は信仰の山 ・・・・・・・・・・ 栃木県鹿沼市

  杉の木がいまほど大きくなる前、ここにはアカヤシオがいっぱい咲いていた。バブルのころ、高い金で売れると、山にやって来る男たちが、ロープで体を吊って、岩山のアカヤシオを盗んで行った。およそ山を愛する人たちにあるまじき行為が繰り返されて、花はわずかになってしまったと、松尾雄二さんは嘆く。

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