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 昭和30年代まで残っていた千屋中学校。前の二列は中学校。後ろの一列3棟は青年学校と記憶している。中学を卒業した男女がここで学んでいたが、私たちが中学生のころは、たしか裁縫教室が開かれていたように記憶してる。中央の六角形の建物は雨天時には体育館がわりに使ったような気がす。
 青年学校は、1935(昭和10)年に公布・施行された青年学校令されによって設立された。戦後、廃止されたが建物だけはしばらく残っていた。
 戦後起こった“新生活運動”は、明治維新とおなじように、これまであったもの、いいものも悪いものも、古いのを理由にしてことごとく壊すことからスタートしたように思う。外観はもちろんのこと、建築方法など、きわめて珍しい建物であったわけだから、かんたんに壊すことよりも残すことを考えてもらいたかったと、無責任にも考えてしまう。いまは懐かしい想い出の校舎である。

  千屋中学校はいまはない。「自民党をぶっ壊す!」「私の政策を批判する者はすべて抵抗勢力」と豪語した小泉某とやらいう一国会議員によって日本国そのものまでぶっ壊されてしまい、行財政改革の号令のもとに田舎に学校なんかいらないという馬鹿な考えをもった人たちによって潰されてしまった。学校をなんと考えているのだろうか。そういう人たちに教育された子どもたちが将来どのような大人になるか危惧される。