私はふる里の山を見るたびに、19世紀のイギリス・ウェールズ地方の炭坑町を舞台に描いた映画『わが谷は緑なりき』(20世紀フォックス制作・配給 ジョン・フォード監督)を思い出す。
  谷がまだ緑におおわれていたとき、モーガン家は幸せだった。両親と6人の兄姉に愛されながら生きてきた末っ子のヒュー・モーガンの回想から物語ははじまる。
  いまや年老いたヒュー・モーガンは生まれ故郷の谷を出ようとしていた。谷がまだ緑におおわれていたころ一家みんながそろっていて、幸せだった。炭坑が栄えるほどに、山の緑が失われていった。やがて谷から緑がなくなったころ、人々は谷を去っていった。

  私の生まれた村は、映画とは逆だった。
「生めよ殖やせよ」のスローガンのもとに暮らしてきた時代が終わってまもなく、「植えよ殖やせよ」の時代がやって来た。「50年後に家が建つ」の甘言につられ、私も山の斜面にへばりつくようにしながら杉や檜を植えた記憶がある。一家を挙げて都会に出る人が、田や畑に植えた例もある。いまやその木は周囲の田畑に陽陰をつくっている。杉や檜はキャベツや白菜などとおなじように栽培植物のはずだが、木は植えっぱなしだ。そのうち金になる、という魂胆で植えたのだろう。
  山が緑におおわれつくしたころ、人々は村を去りはじめた。「挙家離村」「過疎化現象」などという言葉が聞かれるようになった。そしていま、「限界集落」という新しい言葉が造りだされ、流行り言葉になりつつある。なにげなく使われているこの言葉を聞くたびに、私は耳をおおいたくなる。理由はかんたん。「あなたは、もう長くは生きられませんよ」と宣告されたに等しい言葉だからだ。その限界集落の題名で書かれた本が、毎日出版文化賞を受賞したと耳にした。なにをか況や、だ。
  話が横道にそれた。引き戻す。家はまだ建たない。 約束が違うと叫んでみても、虚しく響くだけ。木霊すら戻ってこない。ふる里の山々は、いま、四季を通じて緑におおわれている。しかし、ひとたび山に足を踏み入れるとご覧のように山肌は荒れ、ところどころに水無川まで見うけられる。
  山は日々、やせ細っている。雨のたびに土が洗われ、杉や檜の根が顕れてくる。やがて木が死ぬ。山が死ぬ。それだけではない。出版文化賞をとった本で、限界集落などという言葉まで与えられた村が死ぬ。
「あんた、死にますよ!!」

How Green Was My Valley
       わが谷は緑なりき

戦後最大  自然破壊

  現在、目にする大半の杉や桧は人が植えたものだ。おなじように人が植えるものに野菜がある。つまり、杉や桧は大根や白菜などとおなじなのだ。 ところがどうだ。杉も桧も植えっぱなしで、間引くことをしなくていいし、脇芽を欠かなくていいと思っている。放っておいても育つと誤解をしている。
  草刈り山に杉や桧を植え、田んぼをつぶしてまた植え、いざ売る時期になったら、伐っても金にならないと知って放置された。 そんな山がいたるところにある。
  降った雨は大地をたたき、土を洗い流し、一気に川に流れ込む。土がなくなると、杉や桧の根は露わになり、立っていられなくてやがて倒れる。ときに山を崩し、民家を飲み込み、災害をもたらす。
  杉や桧の山は日々壊れている。自然を破壊している。

[監督] ジョン・フォード
[撮影] アーサー・ C・ミラー
[出演] ウォルター・ピジョン
     
ドナルド・クリスプ

     ロディ・マクドウォール
     モーリン・オハラ

 

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岡山県新見市千屋の杉林