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 山をひとつ越えると別の村になった。中国山地の脊梁の村々の特徴だった。川筋ごとに別の村といったほうがわかりやすいかもしれない。
 ここは菅生(すごう)地区。昔は、川筋ごとに豪族がいた。たいていは鉄山師だった。砂鉄採取が行われていた。菅生地区の鉄山師は西谷家だった。備中聖人と呼ばれる山田方谷の母親・かじの本家だった。
 西谷家から山田家に嫁いだかじは、方谷5歳のとき、新見藩関家お抱えの儒家・丸川松隠のもとにあずけ、学問をさせる。長じて山田方谷は松山藩に抱えられ、元締役兼吟味役元締を命ぜられ藩政改革に取り組む。
 御多分にもれず菅生地区も過疎化が著しい。