戦後最大
 自然破壊

  2011年8月25日にマリアナ諸島付近で発生した台風12号は、徐々に発達しながらゆっくりと北上していたが、小笠原諸島付近で進路を失い停滞。迷走しながら四国へ上陸。その後も速度をあげることなくゆっくりと北上して岡山県・鳥取県を縦断して日本海へ抜けた。
  この台風の特徴は進行速度がきわめて遅かったことと、大量の雨をもたらしたことだ。西日本から北日本にかけて記録的な大雨になった。台風の中心から東側にあたった紀伊半島では、総降水量は1,000mmを超えた。
  9月3日、奈良県十津川村野尻地区では、川が土砂でせき止められて氾濫、いちじは全村孤立状態になった。那智勝浦町井関・市野々地区では川沿いにある集落の家が押し流され、多数の犠牲者が発生した。  各地で被害が続出したためあまりマスコミで騒がれなかったが、和歌山県下を流れる日高川でも甚大な被害が出た。日高川で特徴的だったのは、下記の数字を見てもらえばわかるが、全壊家屋に別荘が多いことだ。全壊63棟のうち別荘が42棟もあった。このことは注目しなければならない。
  新しく建てられる家や別荘などは、旧習を無視して建てられる場合が多いからだ。つまり、自然を人間の力ならどうにでもなると過信した人々の手によって開発されたり家が建てられているからだ。
  洪水から2か月後の11月6日、日高川の田尻地区を歩いたが、上の写真のようにひどい爪痕が残っていた。ここで注目して欲しいのは、日本全国どの川にも見られるが川の曲がり角には、たいていの場合、竹が植えてあることだ。洪水から土地の流出を守るためだ。
  地震がきたら竹藪に逃げ込め、という言葉があるが、根の張った竹林はしっかりと大地をつかまえて洪水からも守ってくれる。コンクリートなどなかった時代に、人々はこうして自然を取り込んで大地を守り、人命を守ったのだ。そして、竹の高さよりも低い土地に家をたてるなと、おそらく口伝していたはずだ。
  現代文明は、その教えを「古いから」というひとことで捨て去ろうとしている。もういちど、立ち止まって見る必要があるのではないだろうか。

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竹林 その3

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和歌山県日高郡日高川町田尻 

そして竹林は残った

手前のコンクリート護岸は流された。対岸の竹林は残った。

手前のコンクリート護岸は流された。対岸の森は残った。それは杉林ではなかったからだ。

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