久根銅山について
  採掘された鉱石は、明治32年(1899年)に古川市兵衛が買収するまで、久根で精錬されていた。そのために、精錬の煙が草木を枯らすなどの鉱害問題が深刻化し、古河市兵衛が買い取ってからは、鉱石を西鹿島まで運び、そこから鉄道輸送によって足尾に運び、足尾で精錬することにした。

 その時、鉱石を満載して西鹿島まで天竜川を下ったのが「鉱石船」と呼ばれる帆掛船。その数250艘、船頭600人、1艘で約4トンの鉱石が積まれた。帆掛船が列をなして天竜川を下る様は、さぞや壮観な眺めだったことだろう。

戦後最大
 自然破壊

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瀧山町瀬尻にて

  2011年に天竜川流域に降った雨は、杉林の一部を崩し、築かれていた砂防ダムを壊し、土砂を天竜川に流し、秋葉ダムを埋めた。盛んに浚渫が行われていた。
  天竜川は諏訪湖を水源とし、木曽山脈と明石山脈の間を縫うようにして南に流れる。上流より泰阜(やすおか)ダム、平岡ダムが建設されており、その下流に佐久間ダムが建設された。さらに下流には秋葉ダム、船明(ふなきだ)ダムが建設され、さながらダム銀座の様相を呈している。
  ダムの完成は昭和31年10月。佐久間ダムの建設により当時の国鉄飯田線は、中部天竜駅から大きく迂回して天竜川をさけて水窪を通り、大嵐で再び天竜川に沿って走るよう付け替えられている。

  諏訪湖に源を発する天竜川は、長野県から静岡県に向け、急峻な山々をうがちながら太平洋へと流れ込んでいる。佐久町はそんな天竜川流域の中流に位置し、気候的には太平洋型気候である。川に沿って太平洋から吹き込んでくる風は、山々にぶつかり雨雲を呼び、佐久間地区一帯は多雨である。 山々のほとんどは杉に覆われていて、周年、緑を呈する。
  ところで、佐久間町が足尾銅山とならぶ銅の産出地として栄えていたことは、あまり知られていない。明治32年(1899年)、銅の大鉱脈が発見されるや、古川市兵衛はいちはやく久根銅山を買収、天竜川を利用して鉱石を足尾に運んで精錬した。
  足尾の煙害は佐久間町にも関係があったのだ。精錬を足尾でするようになってからは佐久間町の煙害はなくなったが、目に見えない鉱毒はいまだに垂れ流し続けているのだ。
  平成17年12月27日に「原子力安全・保安員関東東北産業保安監督部」の名で一通の命令書が発令されている。以下にその命令書を添付する。

  この写真は国道 152号線、通称・秋葉街道から撮った佐久間町大井の集落である。ご覧のように山の頂まで集落が這い登り、その間を杉林が覆っている。
  そのことは、杉林が崩壊することは、この集落にとって、すなわち床が消滅することである。その危険性は左の写真が示すように、すでに現実に起こっていることなのだ。
  杉や桧の植林は、戦後まもなく林野庁が国をあげて推進した事業のはずだ。つまり、国をあげて全国に崩壊の危険がある山をつくったのなら、崩壊を防ぐために国をあげて山を元に戻す事業を起こすべきではないだろうか。
  ないだろうか、などという言い方では生温い。責任をもって国は山を元に戻せ!!

静岡県浜松市天竜区佐久間町

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