太田道灌のエピソードで知られるヤマブキに実はなるのか? という論争まで引き起こした春を彩る花。

一重のヤマブキの花のアップ。この種類の花は秋になると種つける。

上の写真は“やまぶき通り”と通称されている矢切の傾斜林を下る道。舌の写真は八重咲きの花。

ヤマブキ

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  これがまあ、なんとバラの仲間なのである。バラ科ヤマブキ属の落葉低木。春に黄色い花をつけるが、実はつけないと思われている。それは太田道灌のエピソードのおかげで多くの人たちに誤解を与えているのだが、一重のヤマブキにはちゃんと実がなるのである。
 ただし、八重咲きのヤマブキには実がならないという話があるが調べてみたとことがないので物が言えない。秋に調べて報告したい。そうでないと太田道灌の和歌の解釈の仕方が変わってくるからだ。もし、八重咲きにも実があるということになれば、「みのひとつだに なきぞ・・・」の解釈が違ってくるからだ。このことは、誰も解を出していない。
  ところで、花のことはさておき、「山吹鉄砲」というのはご存じだろうか。むかし、遊び道具がなかった時代、子どもたちを様々な知恵を働かせて遊んでいたました。ヤマブキも遊ぶ材料のひとつでした。15cm前後に切ったヤマブキの茎を、茎より細い竹の棒などを押し込んで芯を出します。それを1cm弱に刻んで弾にして、篠竹の鉄砲の弾にして飛ばしました。ポンと音がして小さな発泡スチロール状の芯が飛び出します。そんなに遠くには飛びませんが、ポンと音がするのが楽しかったよいうに記憶しています。
  あのころは、みんな子どもたちは「肥後の神」というナイフをポケットに入れて遊んでいました。だからヤマブキの茎を切ることができたのです。


七重八重花は咲けども山吹のみのひとつだになきぞあやしき(後拾遺1154)

  太田道灌が、みすぼらしい家の女から聞いた和歌といいますが、そんな女性が「山吹の〜」のような当時からみても400年もむかしの1086年(応徳3年)に完成をみた後拾遺和歌集に載っている歌など知っているというのも不思議な話です。できすぎです。おそらく、後世の人がつくったフィクションなのですしょう。



※山吹色 = いわずと知れた小判のことです。むかしのお金は金でした。山吹色をしていました。

※白ヤマブキ = 文字通り白い色をしたヤマブキのことです。なぜか、岡山県の一部にしか自生していません。